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神戸地方裁判所 平成10年(ワ)1336号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、金九五万円を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告がした厚生大臣に対する平成七年一月一九日付けの戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下「援護法」という。)に基づく障害年金の支給請求に対し、厚生大臣が平成八年一月四日付けで却下の裁定をしたことに関し、原告が、被告に対し、右裁定は、厚生大臣が調査義務を尽くさずにした違法な処分であり、そのために原告は右障害年金支給の裁定を得るために異議申立をせざるを得ず、余分な時間、労力等の経済的損害と精神的損害の合計九五万円の損害を被ったと主張して、国家賠償法一条一項に基づき同額の損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実

以下の事実は、当事者間に争いがないか、《証拠略》により容易に認められる。

1 原告は、元海軍軍人であり、昭和二一年に復員(帰国)した者であるが、平成七年一月一九日、厚生大臣に対して、原告が当時罹患していた肺結核に関し、右疾病は復員するまでの間に罹患した公務上の疾病であるとして、援護法に基づく障害年金の給付請求(以下「本件給付請求」という。)をした。

原告は、右請求に関する資料として、原告は、終戦後ジャワ島内の復員のための集結地で肺疾患を発症し、復員後の昭和二一年と二二年ころに肺浸潤や肺結核と診断され、昭和二四年ころに国立大阪療養所(現国立療養所近畿中央病院)に入院して肺の手術を受けたことや、そのころ、厚生省からら未復員者給与法による療養給付を受けていたことなどを記載した原告作成の「症状経過書」「障害の原因となった症状が在職中の公務起因である事実についての申立書」、原告を昭和二一年ころに加療したことがあり、国立大阪療養所で肺切除をし、現在、原告は肺結核後遺症である旨の平成七年一月七日付け「診断書」及び終戦前後にジャワ島で原告と行動を共にしていたが、昭和二一年二月ころ、原告は体調を崩し特設の病舎に入院していた旨の記載のある原告の海軍時代の同僚作成の「現認書」を提出した。

2 厚生省の担当者は、原告に対し、未復員者給与法又は未帰還者留守家族等援護法による療養給付を受けていたことの裏付資料の提出を求めたが、原告は、有効な資料を入手できず、厚生省の側で未復員者給与法等の記録資料を探して調べるよう求めたが、原告の記録資料が見当たらないとして受け入れられなかった。

そして、厚生大臣は、原告の提出した資料では原告の現障害(肺結核)が援護法に規定する公務によるものとは認められないとして、平成八年一月四日付けで、本件給付請求を却下する裁定をした(以下「本件却下処分」という。)。

3 原告は、平成八年六月二五日、本件却下処分を不服として厚生大臣に対し異議申立をした。

原告は、右申立に伴い、追加資料として、昭和二四年ころから昭和二八年ころまで国立大阪療養所で原告と共に入院治療を受けていた者が作成し、当時原告は未復患者(未復員者給与法による療養給付を受けている者)と呼ばれていたとの記載がある平成八年六月二〇日付け「現認書」、原告が昭和二四年に入所し昭和二八年に「略治」で退所したことを示す国立大阪療養所の「除籍簿の写し」及び昭和二四年に肺結核で国立大阪療養所に入院した原告に対し、肺の切除術等を施行した旨の山梨医師作成の平成八年一〇月二日付け「診断書」を提出した。

これらの資料提出を受けた厚生省の担当者が大阪府に対して照会したところ、大阪府から、原告が未復員者給与法による療養給付を受けていたことを示す平成八年一〇月三一日付けの「未復員者給与法による療養給付原簿索引簿の写し」が提出された。

厚生大臣は、これらの資料などをもとに、平成九年五月六日付けで本件給付請求にかかる障害年金の支給の裁定をした。

二  争点及びこれに関する当事者の主張

1 厚生大臣の調査義務違反の有無(国家賠償法上の違法性)

(原告の主張)

援護法では、未復員者給与法及び未帰還者留守家族等援護法による療養給付を受けていた者に対しては、その程度に応じて障害年金を支給することになっている。

右関連三法の規定からすれば、厚生省は、未復員者給与法に基づく療養費の支給に関する記録資料を、当該受給者が生存しているであろう期間、保存する責任(保存義務)があるし、厚生大臣は、原告の求めに応じて、その保管にかかるべき当該記録資料を調査し(調査義務)、それらに照らして裁定を行うべきであった。

しかるに、厚生大臣は、右調査義務を尽くさずに、違法に本件請求を却下したのであり、厚生大臣には、右調査義務違反の違法がある。

(被告の主張)

未復員者給与法に基づく療養費の支給を受けていたことは、一般的に援護法による障害年金の受給資格に直接結びつくものではない。

援護法による障害年金の受給資格の裁定のために必要な資料書類等は、法的には、請求者が提出することになっているのであり、厚生省が、未復員者給与法に基づく療養費の支給に関する資料記録を、当該受給者が生存しているであろう期間、保存しなければならない法的義務はないし、それらを調査しなければならない法的義務もない。

2 原告の損害の有無及び額

(原告の主張)

原告は、本件請求を違法に却下されたために異議申立をし、厚生省、兵庫県庁、療養所、現障害の施術医、国立大阪療養所の療友を尋ねるなどして裏付資料の入手に努めなければならなくなり、本来なら不要であった労力、時間、経費を余儀なくされ、また、裏付資料が認めてもらえない不安等から不眠症になるなどの精神的身体的苦痛を被った。

これによる原告の経済的、精神的損害額は別紙のとおり合計九五万円である。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1 援護法では、同法による障害年金等を受ける権利の裁定は、障害年金等を受けようとする者の請求に基づいて厚生大臣が行う(同法六条)とされ、障害年金等を請求する者は、裁定のために必要な書類を添えて請求書を提出しなければならない(同法施行規則一条)とされているのであって、その他に、厚生大臣において請求者の求めに応じた調査を実施する義務を課した法令上の規定は見当たらない。

2 原告は、厚生省又は厚生大臣には、援護法による受給権の裁定に関連して、未復員者給与法に関する記録資料の保存義務や調査義務がある旨主張するが、以下に詳述するとおりであり、理由がない。

(一) 保存義務について

(1) 未復員者給与法には、同法による療養費の支給に関する記録資料を保存すべき旨の規定は見当たらないし、また、右療養費の支給は復員後二年間とされている(同法八条の二等)のであるから、同法との関係で右療養費の支給に関する記録資料を当該未復員者が生存するであろう期間保存すべき必要性もない。

(2) 援護法及び同法施行規則等には、未復員者給与法による療養費の支給を受けていた者に対して援護法による障害年金を支給するとの規定は見当たらない。また、未復員者給与法は、未復員者に対する給与の支払を主目的とし(同法一条、二条等)、療養費の支給については復員後二年間とされている(同法八条の二等)のに対し、援護法は、軍人軍属等の公務上の負傷や疾病等に関する援護を目的とし(同法一条)、それを障害年金の支給等の方法で実現するもの(同法六条、七条等)であり、その目的や対応方法も異なる。したがって、実際上、未復員者給与法による療養費(未復員者が自己の責に帰することのできない事由に因り疾病にかかり又は負傷した場合に支給されるもの)を受給していたことが、援護法による障害年金(軍人軍属が公務上負傷し又は疾病にかかった場合に支給されるもの)の受給権についての重要な資料となり得るとはいえても、それ以上に何らかの法的な意味を有するものとはいえない。

援護法施行規則四四条は、添付書類の省略について規定しているが、これも、厚生大臣は、特別な事由があると認めたときは、添付書類を省略させることができるというものであって、請求者の側が添付書類を省略できるとういうものではなく、原告主張の保存義務の根拠となるものではない。

したがって、厚生大臣ないし厚生省において、援護法による受給権の裁定に関する資料とする必要性から未復員者給与法に関する記録資料を保存しておく義務があるということはできないし、その他に右保存義務があるとする根拠も見出しがたい。

(二) 調査義務について

本件では、原告に援護法に基づく障害年金を支給するとの裁定がされるに当たり、原告が未復員者給与法による療養費の支給を受けていたことが重要な資料となったものと推察されるが、前述のとおり、右資料を収集し提出する責任は請求者である原告にある。厚生大臣は、請求者の受給権について裁定を行うに当たり、必要な調査をする権限を有していると考えられるが(援護法施行令一一条等)、厚生大臣が当該請求に関し、調査を行うか否かやその方法等は、同大臣の裁量に委ねられていると解される。

たしかに、援護法による受給権の裁定に当たって必要と考えれらる終戦前後の状況等についての資料を、請求者が収集するのは容易ではないと考えられるのに対し、厚生大臣は様々な調査手段を有していることに加え、援護法は国家補償の精神に基づき、軍人軍属等であった者を援護することを目的としている(援護法一条)ことに鑑みれば、請求者においてできる限りの調査をし、受給権を有することについて相当程度推認できる資料を収集提出した上で、更に必要な調査の内容を明らかにしてそれを厚生大臣に求め、厚生大臣の側での調査により受給権の有無が容易に判明するというような特別の事情のある場合には、右調査をしなかったことが著しく不合理なものとなり、違法と評価すべき場合があると考える余地もないではない。

しかし、本件では、原告が本件給付請求に関して当初提出した資料は、前記のとおり、原告自身が作成した「症状経過書」及び「障害の原因となった症状が在職中の公務起因である事実についての申立書」の他には、「診断書」と「現認書」しかなく、それらによって明らかとなったといえるのは、原告が昭和二一年ころに国立大阪療養所で肺の切除手術を受けたという程度であり、原告自身が「症状経過書」等に記載したその他の事実、特に右肺疾患が公務に起因することや未復員者給与法による療養費を受給していたことを推認するに足りる的確な資料はなかったと認められるのであるから、そのような状況において、厚生大臣が厚生省にある資料等を調査したり大阪府に対して照会したりしなかったことをもって、著しく不合理で違法であると評価すべき余地はない。

二  結論

以上のとおり、厚生大臣が本件却下処分をするに際して違法と評価すべきところがあったとは認められないのであり、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求には理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日 平成一〇年一一月二〇日)

(裁判長裁判官 森本翅充 裁判官 徳田園恵 裁判官 田中俊行)

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